あれから7年。
福島第一原発の事故が起こり家族・親戚10人で秋田に避難してきた頃が懐かしい。
当時は高速道路が封鎖、ましてや新幹線・電車などは一切使えない、
吹雪の中、車を運転し山道を超え秋田に入った。
僕の故郷は福島第一原発から約50キロの地域。
親父が血相変えて〝逃げろ〟と仕事から戻ってきたのを今でも思い出す。
東日本大震災
津波による被害が有名だが僕の中では
原発事故の被害が大きい。
〝双葉〟出身の友人は未だに故郷に帰れず
自分の子供に〝双〟と〝葉〟と名付け
あの事故と故郷を忘れないようにしているように感じる。
生まれ育った故郷が枯れ果て忘れ去られるのはなんとも言い表せない。
3月11日
この日の地震、その後の原発事故は忘れてはいけないし
良い経験だったと後々は思えるようになりたい。
おそらく福島から避難して秋田で美容師をし続けているのは僕だけだろう。
いつか故郷で小さい美容室を作り故郷に恩返しをしたい。
だから今日の新聞の一面には腹がたった。
よく分からない問題と震災の記事が同じ規模で載せてある。
来年も再来年も忘れずに1日1日過ごしていきたい。
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